[類家俊明さんの著書より抜粋]
古代ヨガYogaは、サンスクリット語のYuiという動詞から派生した名詞だと言われています。Yuiとは結合を意味し「馬にくびきをかける」という意味です。
ヨガを習慣化することで個人の奔放な習慣をコントロールします。
よってヨガは、古代では秩序ある社会の実現のために、ゆるいストレスを課し、マインドを自制したのだと思います。しかし、現代社会では、道徳や規則が過度に整備され、行動が縛られるようになると野生が後退し人生に迷いが出てきます。
高度に発達した自由経済の一線で働く人々は、外圧によってストレスがどんどん増え、社会に拘束され、あるいは己自身に課した理性という「くびき」が強すぎ、そこから内なる不満や恐れといったアタッチメント(脳に取り付いて離れない脳の処理能力を低下させる負の感情)が発生します。
そういう現代社会にあって、ヨガはむしろマインドのくびきをゆるめ、ストレスによって発生したアタッチメントを逃がしてやる機能を担うと私は考えます。現代人は本能が曇ってしまって自分の本性を見失い、迷いとストレスに悩みます。現代におけるヨガは、ストレスを受け流し、まだストレスが少なかった時代にマインドを復元し、健全な野生を取り戻すためにあると考えます。
ヨガの役割は古代ではマインドの制限、現代ではマインドの自由です。ヨガの目的のベクトルが古代と現代では真逆に働いています。インダス・ヨガは身体とマインドを復元する医療だったと考えられます。ですからヨガを「心身システムの復元医療」と定義していいと思います。
呼吸や、瞑想、逆立ちなどは、ストレスでできたアタッチメントを取り、神経伝達物質が分泌されるようになると、曇ったガラスを拭くように自分の本性を気付かせ、あるいは記憶力や理解力を改善し、本能からの信号を受け取る脳力を回復し、迷いから脱却します。ヨガによってストレスをやり過ごすと、一時的にせよ個が歩み寄り社会と調和します。
本来価値観を同じにすることがない個と社会や組織において、個が生きるためには社会や組織を丸ごと受け入れるしかありません。総括力、直観力、理解力などの脳力を鍛えると社会・組織から受けるストレスを受け流すようになるでしょう。これが現代的なヨガだと思います。
精神疾患に苦しむ人にあっても社会・組織に迎合することなく、自分を変えることなく、ヨガのゆったりした呼吸でストレスキラーであるセロトニンを分泌させ、ストレスをやり過ごし、難なく社会や組織にアクセスできると思います。
[類家俊明]
南インドで医療ヨガを、北インドでハタヨガを学び、リシケシュ・ヨガ教師福利協会に登録していただき、ヨガの効果を自分の体で確かめてきた。
「健康は吸気・排気・排泄の賜物である」