「バカの壁」という言葉は、「頭が悪い人」という意味ではありません。
著者の 養老孟司 が伝えたかったのは、人は自分の考え方や経験の枠を通してしか物事を見られず、その壁のせいで相手の話が入ってこないことがある、という考えです。
たとえ① 色付きサングラス
あなたが青いサングラスをかけていて、相手は赤いサングラスをかけています。
同じ白い紙を見ても、
- あなた「青っぽく見える」
- 相手「赤っぽく見える」
お互い「違う!」と言い合っても、実は見えている世界そのものが違うので話がかみ合いません。
この「サングラス」が「バカの壁」です。
たとえ② コップの話
半分まで水が入ったコップがあります。
- 楽観的な人「まだ半分もある」
- 悲観的な人「もう半分しかない」
どちらも同じコップを見ていますが、受け取り方が違います。
相手を説得しようとしても、自分の考え方という壁があるため、簡単には変わりません。
たとえ③ スマホのOS
ある人はiPhoneしか使ったことがなく、別の人はAndroidしか使ったことがありません。
- iPhone派「これが普通で一番使いやすい」
- Android派「いや、こっちのほうが自由で便利」
実際には両方に長所がありますが、自分の慣れた環境を基準に考えてしまうので、相手の良さが見えにくくなります。
これも「自分の常識」という壁です。
一番シンプルなイメージ
現実
↓
【自分の経験・価値観・知識】
↓
自分が見ている世界
この「経験・価値観・知識」がフィルターになっていて、そのフィルターを通さずに物事を見るのはとても難しい――それが「バカの壁」の考え方です。
つまり
「バカの壁」は**知能の高さや学歴の話ではなく、『自分の思い込みや常識が壁になって、他人の考えや新しい事実を受け入れにくくなる現象』**を表した言葉です。
だから、壁を低くする方法は「相手が間違っている」と決めつけることではなく、「自分には見えていないものがあるかもしれない」と考えてみることだと言えます。
他のAIにて
養老孟司さんの大ベストセラー『バカの壁』。この本が言っている「バカの壁」とは、頭の良し悪しのことではなく、「自分が知りたくないこと、興味がないことに対して、脳が情報をシャットアウトしてしまう壁」のことです。
言葉だけだと少し硬いので、いくつかの例えを使ってわかりやすく説明しますね。
例え1:【男子学生と出産ビデオの壁】(本の中の有名な例)
ある大学で、学生たちに「赤ちゃんの出産シーンのビデオ」を見せました。 ビデオを見た後、女子学生と男子学生で感想が真っ二つに割れたのです。
- 女子学生:「新しい発見がたくさんあった」「本当に感動した」
- 男子学生:「保健体育の授業で知っている内容ばかりで、新しい発見はなかった」
もちろん、男子学生が出産の細かいメカニズムまで完璧に知っていたわけではありません。ただ、彼らの脳の中には「自分には出産(妊娠)は関係ない」という強固な壁があったため、ビデオからそれ以上の情報を読み取ろうとしなかった(壁に阻まれた)のです。
例え2:【スマホの「迷惑メールフィルター」】
私たちの脳は、毎日ものすごい量の情報に囲まれています。そのため、脳のなかに「自分に関係があるフォルダ」と「迷惑メールフォルダ(ゴミ箱)」を持っています。
- 自分が興味のあること(趣味や仕事)は、「自分に関係がある」としてどんどん脳に吸収されます。
- 逆に、自分が興味のないことや、自分の常識に反することは、脳のフィルターが「あ、これ迷惑メール(いらない情報)ね」と判断して、自動的にゴミ箱にポイポイ放り込んでしまいます。
この、勝手に情報をゴミ箱に捨てるフィルターの存在こそが「バカの壁」です。本人は「すべてを理解した」と思っているのに、実際はフィルターのせいで最初から情報が届いていないのです。
例え3:【色メガネと透明な壁】
私たちが誰かと会話をするとき、目の前に「透明なガラスの壁」が立っているようなものです。
相手がいくら素晴らしい意見や、自分と違う視点のメッセージを送ってくれても、こちらの壁が分厚いと、メッセージはガラスに跳ね返って届きません。 しかも、本人は「自分は正しい(透明なガラス越しに世界をちゃんと見ている)」と思い込んでいるので、相手の言葉が届いていないこと(自分がバカの壁を作っていること)にすら気づけないのです。
まとめると…
「バカの壁」とは、「知っているつもり」「自分には関係ない」という思い込みが作る、脳のシャッターです。
この壁を壊すためには、「自分が知っていることなんて、世の中のほんの一部だけだ」「相手には自分と違う正義があるのかもしれない」と、常にシャッターを少し開けておく意識が大切なんだ、と養老さんは説いています。
